『ゴールデンカムイ』――この漫画を、まだ読んでいないあなたへ
一冊の本が、あなたの「知っている世界」を壊しにくる
本棚の前に立って、次に読む一冊を探しているあなたに、どうしても伝えたいことがある。
野田サトル『ゴールデンカムイ』。この作品を「冒険漫画です」「歴史漫画です」「グルメ漫画です」と一言で片づけてしまうことは、あまりにもったいない。いや、正確には、それらすべてであると同時に、それらのどれでもない。この漫画は、ページをめくるたびにあなたの予想を裏切り、笑い、震え、涎を垂らし、そしてふと胸の奥が熱くなる――そんな体験を、全三十巻にわたって、何度も何度も、執拗なまでに繰り返してくる作品なのである。
私は編集者として、数えきれないほどの原稿に触れてきた。面白い作品も、巧い作品も、売れる作品も見てきた。だが「読んでいる最中に、自分の五感が拡張されていく感覚」を与えてくれた作品は、そう多くはない。『ゴールデンカムイ』は、間違いなくその一冊だ。
「読む」という行為が、これほど五感を刺激することを知っているか
この漫画を開いた瞬間、まず襲ってくるのは、圧倒的な「情報量」ではない。「温度」である。北海道の、あの突き刺さるような冷気が、紙面から立ちのぼってくる。雪原を踏みしめる音。凍てついた川面の青。焚き火のぱちぱちという爆ぜる音。そして、次の瞬間には、炭火で炙られた獣肉の脂が滴り落ちる、あの香ばしい匂いまでもが鼻腔をくすぐる。
野田サトルという作家の筆は、驚くほど「体感的」だ。登場人物が寒さに震えれば、読んでいるこちらの指先まで冷たくなる。登場人物が空腹を抱えて何かを口にすれば、こちらの胃がきゅっと縮む。それは単に絵が巧いとか、描写が細かいとかいう次元の話ではない。コマの構成、余白の取り方、効果音のフォントの選び方、そして何より「何を描き、何を描かないか」という取捨選択のセンスが、読者の身体記憶を直接叩いてくるのだ。
とりわけ、この作品における「食」の描写は、もはや事件と言っていい。狩猟で得た獣肉、川で捕った魚、山で摘んだ山菜。それらが、登場人物たちの手によって、焚き火の上で、鍋の中で、あるいは生のまま、命の味がする料理へと変わっていく。その過程が、一切の省略なく、しかし決して冗長にならず、まるで儀式のように描かれる。読者は気づけば、漫画を読んでいるはずなのに、唾液腺が反応している。深夜にこの漫画を読むことは、ある種の危険行為である。私は、何度冷蔵庫の前で立ち尽くしたことか。
「笑わせる気満点」の作者が、同時に「泣かせる気も満点」であることの恐ろしさ
この作品を語るうえで、どうしても避けて通れないのが、その「振り幅」である。
前ページまで、腹を抱えて笑っていた。登場人物たちのやり取りが、間の取り方が、表情の崩し方が、あまりにも可笑しくて、声を出して笑っていた。ところが次のページ、ふと差し込まれた何気ない一言、何気ない沈黙、何気ない眼差しに、不意を突かれて喉が詰まる。泣かされるのではない。「泣いてしまう」のだ。準備ができていないところで、心の柔らかい部分を、そっと、しかし確実に触れてくる。
この「笑い」と「涙」の往復運動が、この漫画の心臓部にある。そしてそれは、作者が読者を操っているというよりは、登場人物たちが本当にその場で生きているからこそ生まれる、自然な呼吸のようなものだ。彼らは笑う。本気で笑う。そして、笑った直後に、ふと遠くを見る。その「遠くを見る目」に、彼らが背負ってきたもの、失ってきたもの、それでも歩いてきた道のりが、言葉なくして語られる。
コメディとシリアスの混在は、漫画では珍しくない。だが、『ゴールデンカムイ』のそれは「混在」ではない。「共存」だ。笑いと悲しみが、同じ人物の同じ瞬間に、矛盾なく同居している。人間とは本来そういう生き物だ、ということを、この漫画は思い出させてくれる。
「知らない世界」が、ここにある
この作品の舞台は、二十世紀初頭の北海道である。だが、あなたが「北海道」と聞いて思い浮かべるであろう風景――ラベンダー畑、時計台、海鮮丼の観光パンフレット――とは、まったく別の北海道がここにはある。
アイヌの文化。言語。狩猟の知恵。自然との共生の哲学。この漫画は、それらを「知識」として提示しない。「生活」として描く。登場人物たちが、当たり前のようにアイヌ語を話し、当たり前のように山の掟に従い、当たり前のように獲物に感謝し、当たり前のように火を囲んで物語を語る。その「当たり前」の積み重ねが、読者のなかに、これまで知らなかった世界への敬意と親しみを、静かに、しかし確実に根づかせていく。
私はこの漫画を読んで、初めて「知った」というより「出会った」という感覚を味わった。教科書で学ぶのでもなく、ドキュメンタリーで観るのでもなく、物語のなかで、登場人物たちと一緒にその空気を吸い、その土地を歩くことで、初めて「わかる」ことがある。『ゴールデンカムイ』は、その「わかる」を与えてくれる、稀有な作品である。
登場人物たち――「推し」が、一人では済まない
この漫画の登場人物は、多い。そして、全員が濃い。
主人公の二人はもちろんのこと、彼らを取り巻く人々、対峙する者たち、すれ違う者たち、一瞬だけ登場して消えていく者たち――その一人ひとりに、固有の「重力」がある。誰もが見せ場を持ち、誰もが一筋縄ではいかない背景を持ち、誰も読者の記憶に爪痕を残していく。
しかも、恐ろしいことに、この漫画には「単純な悪役」がほとんどいない。敵対する立場にある人物でさえ、その行動の裏にある論理や、抱えている傷や、歪んでしまった愛情が見えてしまう。見えてしまったが最後、あなたはもう、その人物を憎みきれない。むしろ、好きになってしまう。推してしまう。気づけば、十人、二十人と「気になる人物」が増えていき、彼らの動向が気になって、ページをめくる手が止まらなくなる。
そして、彼らの関係性がまた、一筋縄ではいかない。信頼と裏切り。愛情と執着。友情と利用。師弟、戦友、宿敵、同志。それらの関係が、物語の進行とともに刻々と変容していく。あるページでは肩を並べていた二人が、次の章では銃口を向け合っている。あるいはその逆。人間関係の「生き物感」が、ここにはある。
野田サトルという作家の「偏愛」が、すべてのコマに宿っている
この漫画を読んでいると、作者の「好き」が、溢れんばかりに伝わってくる。
動物が好きだ。北海道の自然が好きだ。アイヌの文化が好きだ。歴史が好きだ。食べることが好きだ。男たちの馬鹿なやり取りが好きだ。強い女が好きだ。そして何より、「物語を語ること」そのものが、好きで好きでたまらないのだ、ということが、紙面の隅々から滲み出ている。
その「好き」は、読者に押しつけられない。むしろ、共有を求めてくる。「ねえ、これ、すごくない?」「この動物、こんな生態があるんだよ」「この料理、こうやって作るんだよ」と、目を輝かせて語りかけてくる友人の声が、コマの向こうから聞こえてくるようだ。その無邪気な情熱が、この漫画の根底にある「明るさ」の正体であり、シリアスな場面でも作品全体が暗黒に沈まない理由である。
「ページをめくる」という行為が、これほどスリリングになること
構成についても触れておきたい。この漫画は、一話一話の引きが、とにかく巧い。そしてそれは、安易なクリフハンガーではない。読者の「知りたい」「見たい」「この先どうなる」という渇望を、物語の構造そのものから引き出してくる。
アクションシーンのコマ割りは、映画のコンテを思わせるほど立体的でありながら、漫画でしかできない「時間の伸縮」を自在に操る。一瞬の出来事を何ページもかけて描くことで、その一瞬の重みを刻みつける。逆に、長い時間を一コマで飛ばすことで、年月の残酷さを突きつける。この緩急が、読者の心拍数を直接コントロールしてくる。
そして、静と動のコントラスト。激しい戦闘の直後に訪れる、息を呑むほどの静寂。その静寂のなかで、雪が降る。風が吹く。誰かが、小さく息を吐く。その「間」が、読者の心を強く掴んで離さない。
この漫画は、あなたの「読書体験」の解像度を変えてくれる
最後に、個人的なことを書かせてほしい。
私はこの漫画を読み終えたあと、日常の景色が少し変わった。スーパーで肉を買うとき、その肉が「どこから来たか」を、ほんの一瞬だけ考えるようになった。冬の冷たい空気に触れたとき、その冷たさを「美しい」と感じる瞬間が増えた。誰かと食卓を囲むとき、その時間の尊さが、以前より少しだけ、わかるようになった。
フィクションが、現実の感受性を変えることがある。『ゴールデンカムイ』は、まさにそういう作品だ。読み終えたあと、あなたの目の前の世界が、少しだけ「濃く」なる。解像度が上がる。これまで見過ごしていたものに、目が留まるようになる。
さあ、最初のページを開いてほしい
この紹介文を、ここまで読んでくれたあなたに、最後にひとつだけお願いがある。
この漫画を、どうか「情報」で予習しすぎないでほしい。どんな物語か、どんな結末か、誰がどうなるか。それらを知ったうえで読むのも、もちろん一つの楽しみ方だ。だが、もし可能ならば、まっさらな状態で、第一巻の第一ページを開いてほしい。
そして、ただ、彼らと一緒に歩いてほしい。
雪を踏みしめ、風を受け、火を囲み、肉を焼き、笑い、怒り、泣き、そしてまた歩く。その「旅」の同伴者として、この物語に身を委ねてほしい。
三十巻分。長い旅だ。だが、読み終えたとき、あなたはきっと、こう思うはずだ。
「まだ、終わってほしくなかった」と。
野田サトル『ゴールデンカムイ』。
この作品が、あなたの本棚に、いや、あなたの人生に加わることを、一編集者として、心から願っている。
――さあ、ページを開こう。北海道の風が、あなたを待っている。
※編集部注: 本文中の「全三十巻」「三十巻分」は誤りで、『ゴールデンカムイ』は全31巻で完結しています。